昭和58年(1983年)7月20日から23日にかけて、中国地方西部の日本海側で梅雨前線の活動が活発となり、梅雨末期の集中豪雨が発生しました。中でも、浜田市(当時の三隅町)では1時間降水量91mm、日降水量331mmの記録的な豪雨により、がけ崩れ、土石流、洪水が多発し、県内での死者107名、住宅の全半壊、流失が3000戸以上、浸水は約14000戸に及び、被害総額が約4000億円(公共施設18358個所で被害額1155億円)に及ぶ未曾有の大災害となりました。今年は、この昭和58年7月豪雨から40年目の節目の年となります。
私はこの年に仕事に就きましたので、災害発生直後から翌年の春くらいまで、社内の先輩や協力会社、発注者の方々に教わり、助けてもらい見様見真似で道路災害に始まり、農地・農業施設災害、災害関連の仕事など、災害にかかわる仕事だけを半年以上にわたって行ったと記憶しています。この時、自然の猛威を目の当たりにしたことや経験がなく未熟な私に期待して下さった地域の方、発注者の方々などとの関わり、様々な施設や構造物の測量から設計までを一連で行うことが出来たことが、私の大きな財産となりました。
災害への対応は、先ずは救助に当たる警察、消防や自衛隊で“待ったなし”です。その次に、速やかな復旧を目指し、私たち建設産業の出番で、同じく“待ったなし”です。私たちの仕事で、災害復旧に関わる業務は何よりも優先しなければならないものであります。梅雨空が続き、天候を心配する日々ですが、災害が起きた場合には全社を挙げて対応することが当社のスピリッツであることを申し上げます。
今から10年前の平成25年7月には、津和野町で最大時間雨量91.5mm、日降水量381mmを記録しました。また、8月には江津市で最大時間雨量92.5mm、日降水量413mmを記録しました。いずれも昭和58年豪雨に匹敵する猛烈な豪雨です。この時の人的被害は、県内で死者2名、公共施設被害2050箇所で被害額は179億円となっています。
記憶に新しいのが令和3年です。この年は梅雨前線による豪雨と、その直後に台風9号、その後に前線による豪雨が重なり、二月の間で4度に渡り、県下の広域で昭和58年災害、平成25年災害に匹敵する豪雨を記録しました。この年の公共施設被害は1710箇所で被害額は240億円となっています。
この40年間で雨の降り方は、確実に過激になり、頻発、突発的に起きることからゲリラ豪雨と呼ばれるようになりました。しかしながら、人的被害は大幅に減り、被害の規模も縮小しています。このことは、天気予報の進歩や防災に対する意識が高まったことなどもありますが、昭和58年災害以降、防災、安全に対する投資を行ってきたことが、功を奏した証であると思います。それを担っているのが私たちの仕事で、地域の人が安全、安心に暮らすために不可欠であり、役立つことが職業の誇りであり、使命でもあります。
先月に続き『自分の道を生きる勇気』を掲げます。
『自分の道を生きる勇気』を胸に、鬱陶しい梅雨とこの夏の暑さを乗り越え、楽しく働いてまいります。
和田晶夫