旧暦の10月10日には出雲大社の西方約1キロの稲佐の浜で全国から『八百万の神』をお迎えする『神迎え神事』が行われます。今年の神迎えは一昨日の11月29日にあたり、週末と重なったこともありたいへんな賑わいでした。
私は神迎えの道沿い(稲佐の浜から出雲大社まで御神幸される通り)で生まれ育ちました。幼い頃の記憶では、現在の賑やかな神迎えとは全く異なり、御神幸は見てはいけないもので、八百万の神をお迎えするこの期間は音をたてずにひっそりと過ごすように教えられました。そのようなことから地元ではこの行事や期間を『お忌みさん』と呼ばれていました。
『八百万の神』とは、数多くの神々の総称で『八百万』という具体的な数を表すものではなく、数多く、無限であるという意味です。神道では、自然界のあらゆるものや現象、人が使う道具など全てに神が宿るという多神教的な教えで、キリスト教やイスラム教の唯一絶対の神が存在するという一神教とは全く異なるものです。
私たちが神社や神棚に手を合わせる対象、御守を身につけることは、絶対的、唯一の神様ではありません。多くの神が様々な領域や場所で共存しているということです。その考えは日本文化の中で生き続け、自然を崇拝し共生することや自然の恵みに感謝し敬うこと、人々が和を尊んで多様性を認め合い共存し、社会の繁栄を願うという思想であると思います。この思想は、国や地域だけではなく、会社にもあてはまる日本伝統の共通の価値観であり、大切にし続けたものであります。
神在の月に『満堂和気生嘉祥(わき、どうにみちてかしょうをしょうず)』と揮毫していただきました。『みんなで気持ちを一つにして力を合わせれば、おのずと発展する』という教えです。多くの神様がいらっしゃる以上に人間社会には様々な人がいて、個性があります。私たちは、定められたルールや道徳のもと、お互いがリスペクトし認め合って気持ちを一つにすることで社会も会社も繫栄します。
八百万の神をお迎えするこの時期に社内の気持ちを一つにすること、ひとり一人が『自分ごと』で行動することで、この一年を有終の美で飾るべく邁進してまいります。
和田晶夫