片山喜男さんが11月11日に急逝されました。
今年の3月まで当社に勤務され、おおらかで包容力のある風貌と関西弁で気さくに話される姿が脳裏に浮かびます。生涯一技術者を貫かれ、退職された後も豊富な経験から、指導、助言を頂いていましたので、すぐには訃報を受け入れることができませんでした。この悲しみは、社員の皆さんと同じものであると思います。半世紀にわたり、水道施設の技術者としてひたむきに歩まれた片山さんの足跡を尊び、社員の皆さんと共に心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
片山さんは、二十歳の時に大阪で技術者人生をスタートされ、23歳の時に岡山で会社を立ち上げられました。当社には、縁あって平成三年、43歳の時に入社され、その後30年にわたり島根県内自治体の水道施設の整備構想を策定され、水源の探査、事業認可から浄水場などの施設設計に携わられ、“全てを任せられる技術者”として、多くの自治体から絶大な信頼を得られました。代表的な設計施設として隠岐の島町池田浄水場と取水施設や海士町の海士浄水場などがあります。最近では美郷町、奥出雲町、吉賀町などの簡易水道の上水道統合計画を策定されました。その仕事が技術者としての大成となりました。
私は、片山さんと30年にわたり一緒に仕事をさせていただきました。その中で印象に残っているのは『夢を持って仕事に向き合われていた姿』です。水道というライフラインを担う技術者として、安全で安定的な水源の確保と永続的な施設運営を目指され、地域にとって理想的な水道施設について目を輝かせて語られていた姿が忘れられません。また、若い時に自ら会社を設立され、苦労されていたことから“仕事があること、仕事ができるありがたさ”について話されていました。そのことから、どんなに忙しくても愚痴や言い訳をされることはなく『前向きに仕事を楽しまれる姿』が印象に残っています。片山さんは、半世紀にわたる技術者人生で『私たちの仕事には夢があること』と『前向きに仕事を楽しむこと』を教えてくださいました。
私たちは、片山さんの技術を継承すると共に、その教えを肝に銘じ、地域やお客様に喜んでいただき、感動していただける仕事を行ってまいります。
多くの地域に素晴らしい水道インフラを残された功績、当社に多大な功績を残されたことに敬意を表し、当社の暦に11月11日を片山スピリッツの日として記したいと思います。
和田晶夫